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2006年9月18日

「ワイト島コンサートの完全版を聴ける日がいつか来てほしい」

一連のブートレッグ・シリーズでリリースされる、いろんな時代のボブ・ディランのライブ…もし出してくれるとしたら、それらのライブの極北にあるもの、それが1969年8月31日のワイト島ライブではないでしょうか。

その一部はもちろんこれまた公式アルバムのなかでの極北ともいえる「セルフ・ポートレイト」に入っているのですが、故意に、かどうか、ワイト島ライブの素晴らしさを伝えない演奏だけをセレクトしているように聴こえます(それが「セルフ・ポートレイト」のコンセプトだから?)。

なにが素晴らしいといって、ワイト島ライブでのアコースティック・セットが素晴らしい。これは一曲も「セルフ・ポートレイト」に収録されていない。
(わたしは、32年前、高校二年生のとき新宿ディスクロードで買ったブートレッグで聴いています。これを買ったとき同時に「ロイヤル・アルバート・ホール」も買った。思えば、高校二年生にして、数ある海賊盤から、すごい取り合わせのレコードを選びだしたものです)。

…とはいっても、ワイト島ライブ、エレクトリック・セットもわるいわけではない。
しかしそこには、おそらく当時の(後になっても?)聴衆が期待したものとはちがう、緊張感のないレイドバックした演奏が展開されています。
たとえば、1966年の、いまや1998年に公式にも発売され、2005年にはマーティン・スコセッシの映画でもハイライトとされてすっかり衆目の知るところとなった「ロイヤル・アルバート・ホール」(実際はフリー・トレード・ホール)、ここでの「伝説的な」やりとりに続いて演奏される「ライク・ア・ローリング・ストーン」と、同じ演奏者をひきいて(ドラムだけちがう)演奏しているはずの1969年のワイト島での「ライク・ア・ローリング・ストーン」、このふたつを聴き比べてみてください。このわずか3年のあいだのテンションの落差を聴いてみてください(これは「セルフ・ポートレイト」に入っています)。

ディランは、1969年という、その当時も後の時代にも十分に喧伝された、「ロックの時代」・「ロックにとって特別な意味をもつ年」のただなかにあって、あえて反「ロック」的な演奏を披露することによって、つまりいってみれば「ロック(という通念)に対してロック的にふるまう」ことによって、1966年にみずからが喚起したところのロックの持つインパクト(聴衆の期待するものとの齟齬、ですな)を貫徹しようとしたのではないでしょうか。

ワイト島コンサートの完全版を聴ける日がいつか来てほしい、さらにできれば映像でも観てみたい!
(映像を観てみたいというのは、ジョン・レノンの生涯を綴った映画「イマジン」の中で「神」が流れるシーンがあり、歌詞の内容にあわせて人物の映像が出てくるのですが、「Zimmerman」のところで、当然ボブ・ディランが出てくるわけですが、そのときのディランの映像がワイト島のライブ・シーンなのです。ほんの一瞬なのですが…。わたしなどはこの映像を全編見せてくれ!というかんじですね)。
ではまた。

お知らせ:「今日こんなレコードを買った」の姉妹版、「今日こんなレコードを買った…世相編・実践編」を始めました。よかったらそちらも覗いてみてください。

「今日こんなレコードを買った…世相編・実践編」
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