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2007年12月の投稿

2007年12月30日

イッツ・ア・ビューティフル・デイ「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」(CBS・ソニーレコード株式会社、レコード番号SONP50180)

イッツ・ア・ビューティフル・デイ「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」(CBS・ソニーレコード株式会社、レコード番号SONP50180)
\1,800
購入日:1971年12月31日(金)。十五歳。
購入場所:いつものTレコード店


明日、2007年12月31日は帰省の最中でネットにつながらないので、一日前倒しで投稿するのでした。
「ホワイト・バード」、「ホット・サマー・デイ」、「ガール・ウィズ・ノー・アイズ」が好きでした。

:1971年の大晦日に「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」を買うため、昼過ぎにいつものTレコード店へ行ったところ、客でいっぱいだった、と記録に書かれています。

このころ、アルバムを一枚買うごとに店頭でオマケのポスターを一枚もらっていたのですが、この日はクリームのポスターをリクエストしたのですが在庫がなく、かわりにザ・フーのポスターをもらった、と記録に書かれています。
自分の部屋の壁は、もうこの頃にはすでにポスターで埋まっていたのでしたが、この日、Tレコード店から帰って夕方までかけて、部屋中のポスターを貼り替えた、と記録に書かれています。Itsabeautifulday

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2007年12月29日

ローリング・ストーンズ「レット・イット・ブリード」(発売元:キングレコード株式会社、レコード番号SLC300)

ローリング・ストーンズ「レット・イット・ブリード」(発売元:キングレコード株式会社、レコード番号SLC300)
\2,000
購入日:1970年(昭和45年)12月29日(火)。十四歳。
購入場所:いつものTレコード店。


「今年度最高の芸術レコードをキミに!」とオビに書かれています。
このときまでにローリング・ストーンズのレコードは、前年(1969年)に「スルー・ザ・パスト・ダークリィ」を買ったのを皮切りに、この年(1970年)の3月7日(土)に「ベガーズ・バンケット」、8月8日(土)に大阪で買った「ゼア・サタニック・マジェスティーズ」、11月5日(木)に「ビック゛・ヒッツ」と、計4枚買っていました。
「レット・イット・ブリード」は、ローリング・ストーンズのアルバムを買った、通算5枚目のレコードということになります。
この時点でのこのアルバムが、ストーンズの最新作ということになるので、このアルバムを購入することで、ローリング・ストーンズの「現在」をあらかた把握したということがいえると思います。内容についてはすでに、以前にAT君から聴かされたので、知っていました。

ミック・テイラーとブライアン・ジョーンズの両者が参加しているアルバムです。
しかも曲によっては、のべ6人のメンバーのうちの3人とか4人しか参加していなかったリします(しかもそういう曲がとても多い。また逆に、「ミッドナイト・ランブラー」では、ブライアンを含む旧・ストーンズのメンバーがきれいに5人揃っていたりして、ハッとさせられます)。
ライ・クーダー、アル・クーパー、レオン・ラッセルなど、ゲスト・ミュージシャンが多い。
…と考えると、ちょっとビートルズの「ホワイト・アルバム」みたいな状況で作られたアルバムなのかと、思ったりもしますが、しかしそこから出てくる音楽は、「ホワイト・アルバム」とは逆に、磐石の姿勢を感じさせる、風格というか自信を感じさせる、余裕をかました音楽なのでした。
つねに不安定だった(ブライアン・ジョーンズがいるがゆえに)ストーンズは、ここにきて、ついに安定期に入ったのでした。ついに、いつでも、心置きなく、素晴らしい音楽を創造できる環境が整ったのかもしれません。しかしそれが、べつの意味では「最後の輝き」だったと、いえなくもないかもしれません。
いずれにしても、ブライアン・ジョーンズの存在しないローリング・ストーンズは、これ以降、14歳の少年であったわたしの興味の対象から、しだいにハズレて行ったのでした。
ブライアン・ジョーンズがローリング・ストーンズ草創期~初期に志向していた、黒人音楽への情熱こそが、ストーンズをストーンズたらしめていたのですが、それは「ジャガー・リチャード」のオリジナル曲によって、ちがった方向へと「発展」してしまっていました。


Tレコード店で「レット・イット・ブリード」を買ったときですが、記録によると、「ムリをいって」(当時の記録の表現のまま)、「リンゴ・スターのポスターをもらった」、と記されています。どういうことだったのでしょうか、なにを考えていたのでしょうか…。
またおなじ日に、母親にねだって、ヘッドホンを買ってもらっています。「レット・イット・ブリード」のジャケットに印刷されている、「THIS RECORD SHOULD BE PLAYED L-O-U-D」を実践するためのものだったのでしょう。LetitbleedPoster


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2007年12月24日

トラフィック「フェアウェル・トラフィック」(発売元:日本ビクター株式会社、「日本ビクターのフォンタナ・レコード」、レコード番号FOX-7005)

トラフィック「フェアウェル・トラフィック」(発売元:日本ビクター株式会社、「日本ビクターのフォンタナ・レコード」、レコード番号FOX-7005)
\1,950
購入日:1970年(昭和45年)12月24日(木)。十四歳。
購入場所:いつものTレコード店。


この日に「フェアウェル・トラフィック」を買うまでに、トラフィックのレコードは、おなじく1970年に、5月7日(木)に「ベスト・オブ・トラフィック」、9月17日(木)に「ジョン・バーレイコーン・マスト・ダイ」を買っていて、「ジョン・バーレイコーン・マスト・ダイ」は、国内盤が発売されたばかりの、できたてホヤホヤの新譜として買った、という話は以前に書きました。

「フェアウェル・トラフィック」は、トラフィックのアルバムを買った、通算3枚目のレコードということになります。

わたしがいつものTレコード店で「フェアウェル・トラフィック」を買った日、いっしょに行ったAT君は「ベスト・オブ・トラフィック」を買った、と記録に書かれています。
AT君は1969年以来、わたしの「アート・ロック」関連のレコードの「師匠」でしたから、すべてのレコードをAT君に教えてもらいながら買っていたわけですが、そんなときに、初めて、わたしが先に買ったレコードをあとからAT君が買うということになったレコードが、この日にAT君が買った「ベスト・オブ・トラフィック」ということになるのでした。

ふたりそろってTレコード店で、べつべつのトラフィックのレコードを買い、わたしは家に帰りましたが、記録をひもとくと、AT君はそのあとひとりで、映画「いちご白書」を観に行った、と書かれています。Lastexit

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2007年12月23日

ボブ・ディラン「追憶のハイウェイ61/ボブ・ディラン」(発売元:CBS・ソニーレコード株式会社、レコード番号SONP50345)

ボブ・ディラン「追憶のハイウェイ61/ボブ・ディラン」(発売元:CBS・ソニーレコード株式会社、レコード番号SONP50345)
\1,800
購入日:1971年(昭和46年) 12月23日(木)。十五歳。中学三年生。
購入場所:いつものTレコード店。


この年の前の月(1971年11月)はレコードをたくさん買いすぎたので、翌月12月は多少買うのを控えています。
12月23日(木)に買ったこの「追憶のハイウェイ61」と、このあと大晦日に買った「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」(SONP50180)の2枚だけです。

「CBS・ソニーレコード」マンスなのでした。
ちなみに先月、1971年11月の一ヶ月に買ったレコードは、
11月6日(土)「ドノバンの贈り物/夢の花園より」
11月13日(土)レッド・ツェッペリン「Ⅳ」
11月21日(日)「ベスト・オブ・ドノヴァン」
11月23日(火)「ハーディー・ガーディー・マン」
11月30日(火)「ジョンの魂」
でした。
ドノヴァン、ボブ・ディラン、それに「ニュー・ロック」のグループがあるため、「CBS・ソニーレコード」度が高いです。
でも「ワーナーブラザーズ・パイオニア」も、よく買っていました。
このときから遡ってつい2年ばかり前、1969年ころは、ロックを聴くといえば「アート・ロック」で、国内のレーベルはといえば「日本グラモフォン」、「フォンタナ・アート・ロック・シリーズ」の「日本ビクター」だったのに…(「CBS・ソニーレコード」も創業して2年目でもちろんありましたが)。
隔世の感がある、というほどではないですが、そのほかのレコード会社もおしなべて、世の中あげて、「ロック・エイジ」の「幕開け」になったことは、まちがいないのでした。
というのも、ツェッペリンもピンク・フロイドもこの年に初来日して、わたしはひょんなことからレッド・ツェッペリンの広島公演のチケットを入手したのですが、行かないままに、その飛行船の絵が描かれたチケットを部屋の壁に貼って長く持っていましたが、たしか大学生のころ、家の改築のときだったか、そんなようなときに、なくしました。

ボブ・ディランはこの前々月に「ギフト・パック」を買ったのが手始めで、いよいよここからオリジナル・アルバムを聴き始めようかという、その先鋒がこの「追憶のハイウェイ61」だったのでした。Highway61

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2007年12月21日

COSEY FANNI TUTTI「Time to tell」 (CTI、CD番号CTI93004)

COSEY FANNI TUTTI「Time to tell」 (CTI、CD番号CTI93004)
\3,000(税込)、このほかに送料と決済手数料とで\680(税込)。
購入日:2007年(平成19年) 12月14日(金)、これは到着日。発注日はその2日前、12月12日(水)。
購入場所:STORE15NOV(仙台市青葉区)オンラインショップ、コンビニ決済。

クリス&コージーが昔から好きでした。スロッビング・グリッスルを聴いていたのですが、そのときも好きなのはクリス・カーターとコージー・ファニー・トゥッティなのでした。
クリス&コージーはいま、21世紀になってからカーター・トッティと名義変更していますが、なんだか以前のキャプテン&テニールみたいな語感のときのほうが、雰囲気的にしっくりくるのは、単にわたしが長く聴きすぎて慣れてしまっているからでしょうか。


クリス・カーターのソロ「ザ・スペース・ビトゥイーン」を、1983年のカセットは持っていませんでしたが、1991年にCD化されてアルファレコードから国内盤(ALCB-447)が出たときに買いました。
それをまた、つい4、5年前に、久しぶりにひっぱり出してきて、夏の暑い盛りに、夜、眠るときとかに聴いていたのですが、そうやって久しぶりに繰り返し聴いていたら、その翌年にスロッビング・グリッスルが再結成したので、驚いたりしたものでした。

コージー・ファニー・トゥッティのソロ「Time to tell」ですが、これはアマゾンとかで買える2000年の再発のものではなく、その前の1993年のCDリイシューのときのもので、2000年版とのちがいは、26枚のモノクロ写真カード(印刷物)が付いているのでした。めったに手に入るものではない逸品かもしれません。そうでないかもしれません。
一方その反面、2000年版に入っているボーナス・トラック「Such is life」は、写真カード付き1993年版には入っていないのでした。
付録のブックレット(40ページ)が充実していて、これはどちらの版にも付いているはずですが、コージー・ファニー・トゥッティの活動の(1992年までの)詳細を知ることができます。

「Time to tell」もまた、もとはクリス・カーターの「ザ・スペース・ビトゥイーン」と同様、1983年にカセット&ブックとしてリリースされたものでした。Timetotell

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2007年12月 2日

ニール・ヤング「トランス コンピューターハイウェイ’83」 (GEFFEN RECORDS、発売元:株式会社CBS・ソニー、レコード番号25AP 2408)

ニール・ヤング「トランス コンピューターハイウェイ’83」 (GEFFEN RECORDS、発売元:株式会社CBS・ソニー、レコード番号25AP 2408)
\2,000(※USEDでこの価格は当時CD化されていなかったため?)
購入日:1991年(平成3年) 11月30日(土)。三十五歳。
購入場所:新宿ディスクユニオン

ニール・ヤング、スティーヴィー・ウィンウッド、ポール・マッカートニー、こういった「オールド・スクール」なひとたちが血迷って(?)やる「テクノ」というものが、わたしは昔から好きで、なかでもこのニール・ヤングのアルバムは、「オールド・スクール」による「オールド・テクノ」の度合いがハンパでなく、好きでした。
わたしにとっての(1980年代初頭のいわゆる古い意味での)テクノの理想形といっていいほどです。

ちなみにスティーヴィー・ウィンウッド(スティーヴ・ウィンウッドですね、このときは)の場合は、もともとマルチプレーヤーで、「ジョン・バーレイコーン」の時代からすでにすべての楽器を多重録音していましたから、時代が移って、シンセサイザーとシーケンサーを駆使してひとりでアルバムを作っても、世間的には「テクノ」という範疇で受け取られることはなかったと思います。でも、いわゆるテクノ的な文脈で語られることがなくても、「アーク・オブ・ア・ダイバー」や「トーキン・バック・トゥ・ザ・ナイト」には如実にテクノ的なエッセンスが横溢しています。

ポール・マッカートニーもまた、早い時期からマルチプレーヤーであったという点では、テクノに接するスタンスはスティーヴ・ウィンウッドと近いものがあります。ポール・マッカートニーの場合は、「マッカートニーⅡ」を聴くことがすべてでしょうか。
(彼らの作品がテクノと呼ばれないのは、テクノが、「方法」や「機材」や「スタイル」ではなく、「精神」だからだ…なんてここでは言わないでくださいね…)。

興味深いのは、こうした「オールド・スクール」=マルチプレーヤーたちが、すべてを機械(シンセサイザーやアナログ・シーケンサー)に頼って作り上げた音楽の、質感というか手触りが、いずれの場合にも共通して、場合によっては生楽器よりも人間味があり、「暖かい」ことです。(それはテクノの「本線」でいえば、クラフトワークとかクラスターの音が持つ「暖かさ」に通じるものでもあります)。

話はいちじるしくそれましたが、ニール・ヤング「トランス」。
いまの話をニール・ヤングについて言えば、たとえば2曲目「コンピューター・エイジ」での、ボコーダーを通したボーカルを何パートも重ねているのを聴いてみてください。
ニール・ヤングの歌…これほどボコーダーの音色と相性が良く、ぴたりとはまる声質というのも実はあまりないような気がしています。Trance

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2007年12月 1日

ボブ・ディラン「タランチュラ」を読む(片岡義男訳)。

ボブ・ディラン「タランチュラ」 (片岡義男訳、角川書店、1973年)


久しぶりに、というわけでもなく、実は最近になってちょこちょこと読み返しているのですが、でも、最近になって読み返すようになるにあたって、本棚の奥まったところから取り出したのは、かなり久しぶりのことでした。

日本語版の奥付を見ると、「昭和四十八年六月十日 初版発行、定価一、〇〇〇円」
となっています。
原書のほうは、版元MacGibbons & Kee Ltdで、Third impression 1971となっているものです。

1971年に発行されたものではありますが、The Macmillan Companyから出たUSA版でなく、Great Britain版のほうを当時買ったということになりますね。

日本語版のほうをたしか発売されてわりとすぐに買って、おっかけ原書を、1974年~1975年頃のあいだに買ったのだったと思います。Tarantura

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