カテゴリー「ビートルズ」の記事

2006年7月25日

直子にとって「サージェント・ペパーズ…」とはなにか。

(…7月24日の続きです)

直子のアパートに6枚ほどあったレコードのうちの一枚である「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」。なぜビートルズの他のレコードではなく、「サージェント…」なのでしょうか。
ここではいそいで結論を書いておきます。
「サージェント・ペパーズ…」は、キズキの死後、初めて出たビートルズのレコードです。(キズキの死は1967年5月、「サージェント・ペパーズ…」の国内盤の発売は1967年7月)。

直子にとって、キズキが存在しない世界になってから初めて出たビートルズのレコードが「サージェント・ペパーズ…」でした。
そしてそのレコードが直子の東京での一人暮らしのアパートに置かれていたことになります。
「サージェント・ペパーズ…」の国内盤の発売は1967年7月5日なので(イギリスでは6月1日発売でしたが、当時の帯には「オール最新曲 イギリスと同時発売!!」と書かれていました)、発売されてすぐ買ったとしたら、まだキズキの死の約一ヵ月半後です。
直子は神戸で買ったのか、翌年に大学に入学してから東京で買い求めたのかわかりませんが、いずれにしても直子にとっての「サージェント・ペパーズ…」とは、ビートルズがこんな新譜を出したということをキズキと共有できない、キズキが・あるいはキズキといっしょに聴く機会も永久に訪れない、したがって、かつていっしょに聴いたという記憶も将来にわたって持ちえない、最初のビートルズのレコードです。

直子にとって、「サージェント・ペパーズ…」とは、ものごころついて以来ほとんどはじめて、キズキと共有できないものが出てきたことの象徴なのです。
(以下次回に続く)

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2006年7月24日

「ノルウェイの森」にはなぜビートルズが出てこないのか(第3回)

(…7月23日からの続きです)
「ノルウェイの森」には、例外的に一箇所だけビートルズが出てくるシーンがあります。
それは、直子の誕生日に彼女のアパートで、直子がワタナベ君と、あとにも先にもただ一度だけ可能であったところの交渉をもつ場面です。
そこでは、直子が持っているレコードのなかから「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が、かかります。
これが「ノルウェイの森」というテキストのなかで唯一、ビートルズ自身による演奏が流れるシーンです。そしてそのことが、「ノルウェイの森」というテキスト全体のなかでただ一度だけ、ワタナベ君が直子と、直接的に交渉を成立させるシーンと重ね合わせられています。
つまり、直子=ビートルズなのです。
「ノルウェイの森」というテキストのなかで、直子が唯一のビートルズ・ファンであるだけでなく、直子との交渉成立=ビートルズ自身による演奏(ビートルズのレコードの再生)という構図になっているわけです。
直子=ビートルズなのです。
ですから、ワタナベ君が直子(ビートルズ)との直接的な関係を持つことが不可能なときにはすべて、ビートルズ(直子)の代替物…オーケストラによって甘くアレンジされた演奏、レイコさんによってギター独奏版として弾かれる演奏…で演奏され、例外的に、あとから考えて直子自身にもその理由がわからないくらい例外的に一度だけワタナベ君が直子と交渉できたときにだけ、ワタナベ君はビートルズの演奏(直子の体)を体験することになるのです。

ビートルズが出てこない・例外的に一回だけ出てくる、このことが「ノルウェイの森」というテキスト(繰り返し書いて恐縮ですが、このテキスト全体は、ワタナベ君が書いているという設定です)を特徴づけています。

ところで、では「ノルウェイの森」にあとにも先にもただ一度だけ出てくるビートルズ自身の演奏であるところの、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」とは、なんなのでしょうか。なぜビートルズの他のレコードではなく、「サージェント…」なのでしょうか。
(以下次回に続く)

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2006年7月23日

「ノルウェイの森」にはなぜビートルズが出てこないのか。(承前)

(…7月17日からの続きです)

村上春樹の「ノルウェイの森」を読んでわたしが思ったことは、「ここにはビートルズが出てこない」ということでした。
わたしがここでいうビートルズの「不在」とは、ビートルズ自身による演奏が流れるシーン、レコードでもラジオからでもいいのですが、そういうシーンがないということです。
実際、最後まで読み終わって、ビートルズが出てくるのは一回だけ(後述)で、その場面をのぞいてあとはすべて、「どこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズ」か、レイコさんがギターで(おそらくクラシック的なアプローチで)弾くビートルズなのです。

なぜ「ノルウェイの森」にはビートルズが出てこないのか。
理由は、いろいろ考えられるのですが、最大の理由は、前回も書いたことですが、ワタナベくん…彼は「ノルウェイの森」というテキストの書き手です…がビートルズ・ファンではないからです。

ワタナベくんは寮の壁にマイルス・デイヴィス(とジム・モリソン、後述)の写真を貼り、「カインド・オブ・ブルー」を聴き、1969年という「泥土」のような年にはジョン・コルトレーンが死んだことに言及し、というように、明らかにジャズ・ファンです。…これは実は当時の時代状況からいうとそうとうにメジャーなことであって、そもそもわれわれが今日いうような「ロック」という概念は当時まだほとんど日本に根付いていないといって過言ではありません。日本グラモフォンの「アート・ロック」、「フォンタナ・アート・ロック・シリーズ」というものがありましたが、マニアックなものでした。(注:ただし、当時は現在ほど音楽が細分化されていないので、今日から見ていうほどにはマニアックではなかったともいえる。たとえば、「ミュージックライフ」のような雑誌にも、これらのアーティストは普通にグラビアで取り上げられていました)。
ワタナベ君はジャズ・ファンであってビートルズ・ファンではないし、ロック・ファンでもなさそうです。

…一方で、緑…ワタナベ君が直子と並行して恋愛の対象とする登場人物…はというと、フォーク・ファンです。彼女は自宅の物干し台でワタナベ君の前で当時のメジャーなフォーク・ソングを次々に弾き語りします。ワタナベ君にハーモニーを付けさせようとするところや、素人的なアプローチによる自作曲を披露するところなども、当時のフォークを歌う若者の雰囲気がよく再現されていると思います。
しかし、フォーク・ファンであっても、緑もまたロックに熱中する気配はなく、ビートルズ・ファンでもなさそうです。
ともにロック・ファンでないワタナベ君と緑なのに、二人は、なぜかドアーズのジム・モリソンの曲では、打てば響くように、共通の嗜好であることを示すような会話をします(この件については後述)。

ジャズ・ファンのワタナベ君、フォーク・ファンの緑、クラシックのピアニストで、いまはギターでバッハを弾くレイコさん。では直子は?
直子だけがこの物語のなかでビートルズ・ファンなのです。
(直子と、このテキスト内に現在進行形としては出てこないけれど、おそらくキズキとがビートルズ・ファン)。
そのことが、「ノルウェイの森」のなかで生きている世界のなかで、直子を、他の登場人物から孤立させる要因になっています。
しかし、先にも述べたように、「ノルウェイの森」の作中、例外的に一箇所だけビートルズが出てくるシーンがあります。
(以下次回に続く)

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2006年7月17日

「ノルウェイの森」にはなぜビートルズが出てこないか

村上春樹の「ノルウェイの森」を一読して、読んだひとが誰もがそう思うかどうかはわかりませんが、わたしがすぐに思ったのは、「ここにはビートルズが出てこない」ということでした。
発表されてわりとまもなく、ですから今からもう18年ほど前に読んだのですが、そのことがとても印象深かったことをおぼえています。
同じ頃に出た村上龍の「69」とくらべると、そのことがより明白になると思います。
つまり、「ノルウェイの森」は「69」とちがって、ビートルズ・ファンがビートルズ・ファンのために書いた、ある特定の世代に対するシンパシーではまったくないということです。
対極にあるといっても過言ではありません。
そうだとしてもなぜ「ノルウェイの森」には、ビートルズが出てこないのでしょうか。

わたしはそのことで、村上春樹が読者をミスリーディングしている、とは思いません。作品のタイトルにひかれて、なにかビートルズについての心温まるエピソードでも書いてあるかとかんちがいしたひとが手に取ったり、まちがえて最後まで読み通さないよう、村上春樹は作品の冒頭で、読者にそのことがわかるようにしているからです。

冒頭部分で、主人公の「僕」つまり作中の登場人物であるワタナベくん…彼はまた同時に、この「ノルウェイの森」というテキスト全体の書き手でもあるのですが…は、ハンブルク空港に着陸する飛行機のなかで「どこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの「ノルウェイの森」」を聴いて、動揺します。

このシーンでわれわれ読者がわかることは、というか書き手であるワタナベ君(実際には作者である村上春樹)が読者に提示していることは、
「ワタナベ君はビートルズ・ファンではない」
ということです。
ビートルズ・ファンなら、「どこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズ」とビートルズ自身による演奏を同一視するはずはありません。
ワタナベ君が聴いているのはビートルズではありません。しかるに、ワタナベ君にとっては、ビートルズもどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズも、「激しく僕を混乱させ」るという点について同じなのです。
したがってどう考えてもワタナベ君はビートルズ・ファンでないことは明白です。
一口にいえば、そこには「ロックンロール」が、決定的に欠如しているのです。
(以下、次回につづく)

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2006年7月16日

なにものでもなかったときのビートルズ

わたしたちは、いまではビートルズを、20世紀の古典かなにかのように扱っている。中学高校の音楽の教科書にも、いろんな歴史の本にも載っている。しかし、わたしたちは、ビートルズとはなにかを知るために、ビートルズが「なにものでもない」ときに立ち返らなければならないのです。そうすることで、いろいろなことがあらためてわかってくるのではないかと思います。

どんなに売り込んでも誰ひとりハナ水もひっかけない、演奏を目の前で聴いてもちっとも感心しない、オーディションを受ければ落とされる、誰からも関心を持たれない、あるいは騒音だといって耳を塞がれ、こんなものは音楽ではないといって罵倒される、いくらかの地元の女の子たちと、自らの芸術表現の可能性に挫折したゲイのユダヤ系の青年実業家以外に誰からも一目おかれない、そんな時代のビートルズに立ち返ってみて、ビートルズとはなにかと考えてみればいいと思います。

「偉大」になったあとではなく、その前の姿を見ることで、いろいろなことをわれわれは教わることでしょう。
そこでのビートルズは、ちょうど、モーツァルトの前で、自らモーツァルトに要請して与えられた主題をもとに即興演奏する、16歳のベートーヴェン少年のようなものです。

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2006年7月 5日

ベスト盤「オールディーズ」の裏ジャケット

たとえば、来日した年の1966年暮れに出された、初の、そして現役時代では最初で最後の(注:「ヘイジュード」はアメリカ編集盤なので除く)英国オリジナルのベスト盤「オールディーズ」を見てください。

裏ジャケットには、東京ヒルトンホテルで、日本の土産物(?)に囲まれたビートルズのスナップ写真が使われています。ポール・マッカートニーは寿の紋が入った着物を羽織っていますね。日本公演に同行したカメラマン、ロバート・ウィティカーによって撮られた写真です。日本滞在中のビートルズが、こんなかたちで、その当時のオフィシャル盤に採用されているので、われわれはビートルズにとって、なにか印象に残るものが日本公演にあったことを示唆されているようで、ちょっとうれしくなったものですね。(ちなみにこの現役時代唯一の正式なベスト盤「オールディーズ」は、いまだかつて一度もCD化されないまま現在にいたっています。歴史的な価値を鑑みてキャピトル編集盤を出すようなひまがあったら、まずこちらを出すべきだと思うのですが…わたしはCDがもともと昔から嫌いなのでかまいませんが…)。

ところでこの「オールディーズ」の前に出た「リボルバー」の、同じく裏ジャケットのモノクロ写真も、ロバート・ウィティカーによるものだったのですが、「オールディーズ」の裏ジャケットの写真と雰囲気が似ていますね。同じひとが撮ったからというだけではなく、どちらも、当時のビートルズの内面的な変化を、ビジュアル的に表したものだからなのでしょう。
一年後に西海岸を中心に顕在化することになる、「サマー・オブ・ラブ」前夜、それを予感させる(先取りしている)アシッドな雰囲気がそこはかとなく漂っていると思います。

いっぽう同じころ日本において1966年といえば、数年後に「昭和元禄」と呼ばれることになる、充足的で爛熟した時代へと突入するための、スタート地点のような年でした。(さらにもとをたどれば、1964年の東京オリンピックと、池田勇人による所得倍増政策に始まる)。

1966年は、どんなに語っても語りつくせないだけのものがある年です。

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2006年7月 3日

7月3日、40年前のこの日

ビートルズ来日40周年、この時期にあわせてなにかしら更新しようと思っていたのですが、7月3日になってしまいました。

7月3日、40年前のこの日、午前中にビートルズ一行は羽田空港を発ち、香港経由でマニラへと向かい、かの地ではちょっとしたトラブルに巻き込まれるのですが、さらにいったん帰国後、8月に4度目のツアーで赴いたUSAでは、ツアーの最中、もともとはイギリスで受けたインタビューでの発言だった、ジョン・レノンのキリストに関する発言が問題視され、アメリカ南部を中心にビートルズのボイコット運動が起こったのでした。ビートルズは会見で釈明し事態の収拾につとめるのですが、ただでさえツアーの狂騒に困憊していた時期にふってわいたトラブルに、心のなかでは、嫌気がさしていたでしょうね。
…というように、世界的な熱狂のただなかで、どうしたわけか日本公演を境にするかのように、ビートルズの目前に先行き不透明な暗雲がたれこめるわけです。

こうしたできことが直接の動機ではないとしても、ツアーにまつわるストレスから解放されるべく決断された(当時としてはものすごく異例にきこえる判断であったと思われる)、今後いっさいのコンサート活動の休止宣言へと、ビートルズは動いていくのでした。

したがって日本公演は、ビートルズの演奏をナマで見る機会としては、最後期にあたるといえるわけで、ぎりぎり滑り込みセーフで日本のファンはビートルズの生演奏を体験できたわけです。ビートルズ側から見た日本公演は、その直前のドイツ公演、その直後のUSAツアーとは、比較にならないほど、スケール的にもマーケット的にも重要度は低かったことは想像に難くありません(日本側から見るとしたがって逆に、異例づくめの一大イベントだったことになります)。しかしながらわずか5日間の滞在とはいえ、上に述べたようなその後の彼らの経緯を思うと、ビートルズにとっても、期せずしてひとつの分水嶺として記憶される公演だったのかなと思います。

…1966年6月29日午前3時50分…JALがあつらえた揃いの法被を羽織ってタラップを降りながら手を振るビートルズ。…しかしここに立っているビートルズは、すでに「エリナー・リグビー」、「トゥモロー・ネバー・ノウズ」のレコーディングを終え、さらに日本滞在中にアルバムタイトルを決めることになる「リボルバー」の発売を待つばかりのビートルズであるわけです。…世間の狂騒と自分たちがいま創造しつつある作品とのギャップは、いかばかりのものだったでしょうね。

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2006年6月22日

「リトル・チャイルド」の素晴らしいところ

「リトル・チャイルド」という曲は全曲とおしてジョン・レノンがハーモニカを吹きかつリード・ボーカルをとるわけですが、エンディングで、
baby take a chance with me…oh yea…
というフレーズを、(フェイドアウトで消えかかるところまでを含めると)つごう4回、繰り返して歌うわけです。
で、ここの繰り返し中のoh yeaのところが、ポール・マッカートニーとジョン・レノンの「かけあい」になっているのですね。

こんなぐあいに。(oh yeaのところだけです)。
1回目…baby take a chance with me…oh yea(ジョン)
2回目…baby take a chance with me…oh yea(ポール)
3回目…baby take a chance with me…oh yea(ジョンとポール)
4回目…baby take a chance with me…oh yea(ジョンとポール)(フェイドアウト)

たったそれだけのことなのですが、この、曲も終盤にさしかかりフェイドアウトしようというところで、唐突にポールが入ってくるタイミング、雰囲気、これがとてつもなく素晴らしいわけです。

曲のあたまからずっとジョン・レノンひとりが歌ってハーモニカも吹く曲なのに、最後の最後でいきなりポールが横から首を突き出したような。あるいは、ふたりのあいだで目配せしてアドリブで飛び入り参加したかのような。実際に首を突き出し、一本のマイクをふたりでシェアしたのかもしれません。で、ポールが参入してからあとは、ふたりで声をそろえて歌うという。
バンド間の気心の知れた感じ、「おれたち仲良し」という感じがいやがおうにも聴き手に伝わってきますね。

このアットホームで微笑ましい感じは、ビートルズのほかの曲を聴いているときにもひんぱんに出くわすものでありまして(実はせんだってここに書いた「わたしが好きなビートルズ10(20)曲は、そのことを基準に選んだといってもいいくらいのものでした)、
こういう、メンバー同士の「仲良し感」が歌のそこかしこから聴き手に伝わってくるというような感覚は、あまりほかのバンドでは体験できないと思います。

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2006年6月12日

「わたしの好きな…」とはちょっとべつの話ですが

「わたしの好きなビートルズ」とはちょっとべつの話ですが、

歌モノといわれる楽曲、あるいは楽曲全般には、次のようなふたつの側面があります。

(1)その歌声さえ聴けるのなら、楽曲は極端にいえばどんなものでも構わない。
(2)その楽曲さえあれば、どんなふうにアレンジされても、演奏されても、楽曲自体の良さはいっそう引き立ちこそすれ、損なわれることはない。

ビートルズにはこのふたつの側面が、ふたつながらにしてあります。

現役時代からカバー・バージョンが多いのは、その楽曲が素晴らしいということももちろんですが、その楽曲の質に比して、あまりにもレコーディングされた演奏が貧相だったりする(と思わせる)からです。これは放っておけない、あるいは、これはオレならわたしならもっとずっとうまくやるのに、と思わせるのです。
話はとびますが、トラフィックの楽曲にもそういうところがありますね。

ビートルズの楽曲のカバー・バージョンについては、また機会をあらためます。


…というわけで今日は、日本のSPEKKが出した「Small Melodies」を聴きながら就寝しようっと。sogar単独の音源、あいかわらず手に入らないし。でも良いですよ。sogarだけでなくほかにも楽しい曲いっぱい入っています。

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2006年6月 9日

ジョン・レノンが書いた曲をポール・マッカートニーが演奏する

ジョン・レノンが書いた曲をポール・マッカートニーが演奏する、これがビートルズの最良の形態だとずっと思っていた。
ビートルズの現役時代からそう思っていました。
だから「ジョンとヨーコのバラード」も好きなのです。ナーク・トゥインズですから。

だから、1995年に、新曲「フリー・アズ・ア・バード」が出るニュースを聞いたとき、ビートルズの最良の形態にのっとった作品がまたひとつ生まれるのだとすぐに思いました。
できた楽曲を聴いた結果は、果たしてそのとおりでした。

…わたしは「リアル・ラブ」もすごく好きです。ジョージ・ハリスンのギターが素晴らしい、というより、ギターが泣ける、この曲はこれにつきます。ポールもPVの中でジョージに抱きついていますね。

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