カテゴリー「ブライアン・ジョーンズ」の記事

2006年8月19日

「ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男」観ました。

二週間のごぶさたでした。帰省したりしていたのと、その前後も繁忙だったりで。そういえばおととしの夏でしたか、やっぱり夏に帰省したので更新が滞りましてと書いたものでした。
「夏のふしぎさは、それがあっという間(ま)にすぎ去ること」
(アストリッド・リンドグレーン「わたしたちの島で」尾崎義訳)

そんなわけで、
「ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男」、やっと一昨日(8/17)観てきました。
渋谷シネクイントで14:00からの回。227席の館内けっこう一杯で、若いひと中心で、年配のひとも少し交じっているかんじでした。さらに終わってロビーに出ると、次の回を待つ人の(やはり若者メインの)行列ができていたので、たじろぎました。

映画を観て感じたことをとりいそぎふたつほど。(注:楽しみが減るのでまだこれから観るひとは読まないで…)

(1) ブライアン・ジョーンズ役のレオ・グレゴリーが、似ている!!(ので、安心して観られる)。
(2) 音楽、および音楽の使われ方がカッコいい。(60年代の音源と、新録音とが共存し、なおかつ使われ方が良い)

(1)については、若いひととちがいわたしみたいに、先入観ありまくりでこの映画を観る者にとっては気になるポイントですが、レオ・グレゴリーの醸し出す雰囲気とか挙動が、本物のブライアン・ジョーンズのイメージをまったく損なっていないのがすごいなと思いました。また、ブライアンを知らない若いひとにとっても、レオ自身の発散する存在感で各シーンが締まっているので、楽しめるのではないかと思います。

(2)については、「リトル・レッド・ルースター」でスライド・ギターをフィーチャーするオープニングから、ブライアンがアニタに勧められてドラッグを体験するところではジェファーソン・エアプレイン「ホワイト・ラビット」、ストーンズからの解雇を言い渡された直後には(なぜか)「ノット・フェイド・アウェイ」でアッパーなビートで踊る、等等、観ていてはっとさせられるシークエンスが続きます。

あともうひとつ、サウンドトラックでクーラ・シェイカーによるボブ・ディランの「やせっぽちのバラード」が出てくるのですが、この曲はもともとディランが作ったときからブライアン・ジョーンズに宛てたものだったのでしょうか?いままでそんな話はきいたことがありませんが…スティーヴン・ウーリー監督が、歌詞から連想してここで取り上げたのでしょうか。
…わたしがここで言いたいことは、もしこれがもともとディランが作ったときからブライアンに宛てたものだったとすると、この曲の歌詞に登場するミスター・ジョーンズをさらに自曲の歌詞に引用したビートルズの「ヤー・ブルース」があり、それを「ロックンロール・サーカス」で演奏した…もしそうだとすると、つまりその時点で相当に落魄したブライアン・ジョーンズ本人の目の前でこの曲を歌ったジョン・レノンて…。
(以下次回へ)

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2006年8月 5日

ブライアン・ジョーンズは生きている。

ロックとはなにか、と誰かに訊かれて、いちばん短く答えなければならないとしたら、ぼくはこう答える。
「ブライアン・ジョーンズ」と。(1970年頃の、矢原イケテルくん語録より)

昨夜、読売新聞の夕刊、テレビ蘭の下のスペースの、週末の封切映画の広告を見て、感慨を持たざるをえなかった。
「37年を経た今…」とキャッチコピーに書かれている、その「37年」という時間は、わたしの本ブログのサブタイトルに出てくる年数とぴったり同じですが、まさにわたしが「37年」レコードを買い続けた出発点に、ブライアン・ジョーンズという存在が燦然と輝いている、屹立しているわけです。
昨日の夕刊で、明日封切り映画「劇場版NARUTO」や「釣りバカ日誌17」、「森のリトル・ギャング」といったタイトルを両隣にしたがえて、ブライアン・ジョーンズの名前が印刷されているのを見て、一瞬、時間軸というか、ものごとの遠近感というものを見失いそうになりました。

わたしは2枚のドーナツ盤を棚から取り出してきて、ジャケットを眺め、ライナーノーツを読んでみました。
一枚は「ジャンピン・ジャック・フラッシュc/wチャイルド・オブ・ザ・ムーン」(TOP-1282)キングレコード、1968年。もう一枚は、「ホンキー・トンク・ウィメンc/w無常の世界」(TOP-1422)キングレコード、1969年。どちらもインナースリーブが付いていて、ライナーノーツと歌詞が表裏に載っています。解説は「ジャンピン…」は横山和光、「ホンキー…」は亀淵昭信です。(発売順でいうとこの2枚のあいだに「ストリート・ファイティング・マンc/wノー・エクスペクテーションズ」がありますが、いま手元にない)。
このどちらの解説にも、ブライアン・ジョーンズのことが触れられています。さきの一枚は、ゴダールの「One Plus One」制作にからめてブライアンの麻薬問題。あとの一枚は、ブライアン・ジョーンズの突然の死と、それに先立つ「交替劇」。
「…ブライアンは敗北者になったのではない。彼は自分の進むべき道をはっきりと見出したのだ。そのブライアンも、もういない」(亀淵昭信、「ホンキー…」の解説より)。


で、かんじんの映画は今日、観にいくのですか?
今日は家事その他、野暮用が詰まっていて行けそうにない、行くとしたら明日。もしくは夏休み。

ブライアン・ジョーンズは生きている、われわれの記憶のなかだけでなく、われわれの未来に対しても。(2006年の、矢原イケテルくん語録より)

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2006年7月 6日

7月3日はブライアン・ジョーンズの

7月3日だったというのに、わたしはブライアン・ジョーンズについて書くことを放棄していた!すっかり忘れていた。アホですかわたしは。プロフィールにも明記しておいたように、自他ともに認めるブライアン・ジョーンズ・フリークなのに。あまりにも前から(このブログを始めた一昨年前から。および、約2年中断して再開した今年の5月から)、7月にはそれを書こうと思っていたので、かえって当日に忘れてしまった。ここのところ(というか初回をのぞいた最初から)ずっとビートルズネタだったので。まあ、命日にあわせて書かなくてもいいか…それをいうなら横山光輝についても書くべきだったはずだ(注…横山光輝先生の命日は4月15日なので、本ブログの再開時には間に合っていませんでした)。あらかじめなんの計画もなく、その日書きたいと思ったことを書くところが、いいわけですから。今年の7月3日に、いろいろやっているなかでたまたまブライアン・ジョーンズについて書こうと思い立つ自分ではなかった、そのことの記録として7月3日付の文章があるということでよしとしよう。といって自分を納得させる。そしてある日また、唐突に書く。

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